なんとなく嫌い? カタカナ語を好ましいと感じない理由
生成AIとのやりとりから生まれた小説、『東京都同情塔』(著:九段理江)。著者は現代に氾濫する”カタカナ語”に対して違和感を覚え、そこから小説の着想を得たといいます。
実際、現代日本においてカタカナ語を見ない日はありません。たとえば文章術を説く書籍においても、「コンテンツ」、「テーマ」「サマリー」など、カタカナ語を交えて解説していくものも多くみられます。そもそも文章術という言葉自体、「ライティング」と言い換えられますし、日本語におけるカタカナ語の使用率は、普段意識しているよりも高いのかもしれません。
しかしカタカナ語は便利な反面、「意味を掴みづらい」「なんとなく忌避感がある」といった意見をぶつけられることも珍しくありません。たとえば文化庁の調査では、回答者の3割半ほどが外国語の使用を「どちらかと言うと好ましくないと感じる」と回答しています。
とはいえ、もはや日本語と言っても差支えないほど広く受け入れられているカタカナ語もあります。たとえば文化庁の調べによるこちらの資料では、実に45個ものカタカナ語が、認知率80%を超えていました。「ストレス」という単語に至っては認知率・使用率とも90%を超えており、事実上の日本語として用いられていることが示唆されます。
ではいったい、カタカナ語が受け入れられるか否かの差はどこから生まれるのでしょうか?
今回はそのヒントを探るべく、「カタカナ語を好ましくないと感じる」理由を4つの観点から考察していきました。
1、意味を掴みづらい
意味がわからない
カタカナ語は、日本語では表現できないような概念を言い表してくれます。たとえば「インターネット」や「コンピュータ」といった語は、当時日本に存在しない概念だったため、外来語の音をそのままカタカナへ当てはめた”カタカナ語”として登場しました。そしてそれが世代を超えてなお使用され続け、ついには日本語と遜色ないほどの認知を得たのです。
こうした事例からわかる通り、カタカナ語は「新しいことば」を言い表してくれます。それゆえにその言葉の意味・概念が日本社会へ浸透していないことも多く、安易に頼ると意味が通じなくなります。たとえば2020年代には「メタバース」「ディープフェイク」「サブスク」などをはじめとするカタカナ語が登場し、たびたび読者を混乱させてきました。
カタカナ語の意味がわからなければ当然、それを用いた文の意味も掴めなくなります。内容が曖昧なまま文章を読み進めるのはストレスですから、カタカナ語はもちろん、それを用いた文章自体にも悪印象を持ってしまいます。
ニュアンスがわからない
カタカナ語は人によって解釈が異なります。たとえば「ストレス」という単語も、「なんとなく嫌な気持ち」というニュアンスで捉える人がいれば、「行動の妨げになる原因」というニュアンスで捉える人もいます。大まかな意味は同じなのですが、前者は「感情」に重きを置き、後者は「因果関係」を捉えようとしているわけです。
文脈と照らし合わせながら意味を考えると、そのカタカナ語がどのような意味で用いられているかを推察できます。しかし馴染みのない単語、特に登場してから日が浅い語に関しては、執筆者と読者の間でニュアンスのすれ違いを起こしやすくなります。そうなれば文章全体の意味もうまく掴めなくなりますから、やはりカタカナ語に対する印象も悪いものとなるでしょう。
記憶に残しづらい
たとえば「アフォメーション」という単語をはじめて見た人は、それを記憶に残しておけるでしょうか?おとなしく「自己肯定感」という日本語で表現されたほうが、言葉の意味を掴みやすくなり、かつ記憶にも残しやすくなるのではないでしょうか。
これが漢字の熟語であれば、それぞれの文字から総合的な意味を推察できます。たとえば「自己肯定感」であれば、「自己」を「肯定」する「感覚」といった具合に、それぞれの漢字を分解して捉えてあげればよいのです。しかし残念ながら、カタカナ語ではこの手段を使えません。元となった言葉(affirmation)となじみが深い人でなければ、「アフォメーション」というカタカナ語を理解・記憶することは難しくなります。
言葉の語源を調べるのは面倒なものです。もし初出のカタカナ語と遭遇しても、なんとなく意味が掴めるのであれば、正確な意味を調べることもなく、読み流してしまいます。そして記事を読み終えてしばらくすれば、そのカタカナ語は記憶から消去されてしまうでしょう。
2、文章を読みづらくする
文のリズムを悪くする
カタカナ語は基本的に、和語・漢語とは音の数が異なります。
・しごと⇒ビジネス
・しっぴつ⇒ライティング
・じここうていかん⇒レジリエンス
それはつまり、音読のリズムを崩してしまうことを意味します。和語・漢語はひとことの音の数が少ないので、リズムに与える影響も少なく済むのですが、カタカナ語ではそうもいきません。特に、同じ語種を組み合わせた場合には顕著です。
・文章の極意⇔ライティングのテクニック
・論理的思考⇔ロジカルシンキング
発音が間延びしやすいので、カタカナ語を多用してしまうと、長たらしい印象を与えてしまいます。それは文章においても同じです。人間は頭の中で文を音読していくので、たとえ黙読であっても、言葉のアクセントやリズムを無視できません。カタカナ語が多用された文は、単語だけでなく文自体のリズムも掴みづらくさせ、読者の読解力を妨げてしまうのです。
なお、間延びするのは発音だけではありません。カタカナ語は文字数も増大させる傾向にあるので、文を見たときの印象にも影響を及ぼします。
カタカナ語は「新鮮さ」を演出できる一方で、漢字に比べると「軽い印象」を、ひらがなに比べると「異物感」を強めてしまいます。文章全体のイメージを悪くしかねないので、使用はほどほどに留めましょう。
3、印象が悪い
カタカナ語そのものが嫌い
そもそも「カタカナ語が嫌い」という人も少なくありません。特に最近は、ビジネスの最新知識を欧米から輸入することがブームになっていたり、日本人も論文を英語で書く風潮が広まっていたりと、カタカナ語の生まれる土壌が整っています。
巡り巡って一般人も外来語(カタカナ語)と遭遇しやすくなっているので、カタカナ語を再評価する機会も増えているわけです。今後は生成AIの利用などによりカタカナ語が増加の一途をたどるでしょうし、カタカナ語に対する反応も二極化していくことが予想されます。
カタカナ語が嫌いになる理由は複合的なものなので、一概には言い表せません。ただ一般には、「意味がわかりにくい」、「意味を深く考えず用いられており、不誠実に感じる」「古い表現を妨げて日本語を廃れさせる」、といった懸念が「嫌い」という感情につながるようです。
では実際、カタカナ語に抱くイメージにはどのようなものがあるでしょうか?
知識格差を感じさせる
カタカナ語が「新たな概念を説明することが多い」という事実に起因して、カタカナ語を読んだ読者は、「執筆者が最新知識をひけらかしている」と感じるようです。
またそこまで強い感情でなくとも、「不勉強な自分を責められている」と感じたり、「わざわざカタカナ語を調べるために時間を取られる」ことに不満を覚えたりするようです。
いずれも「執筆者と読者の知識差」により生じる悪感情ですから、カタカナ語を用いる際には、読者の知識量に応じて、その意味を丁寧に説明してあげる必要があります。
言い換える必要性を感じない
たとえば、「コンディショニング」という語をわざわざ用いる必要はあるのでしょうか。意味的には「ウォーミングアップ」でも通じますし、カタカナ語を避けたいのであれば、単に「準備」や「適応」といった漢字でも言い表せます。
読者の立場からすると、わざわざ日本語に当てはめて考えるという手間が発生しているわけですから、カタカナ語を煩わしく感じるのは当然です。日本にはない概念を表現するのであればカタカナ語を用いるのもやむなしですが、日本語で言い表せる言葉をわざわざ言い換える必要はありません。
文章のニュアンスとかみ合わない
カタカナ語はどうしても大げさな印象を与えてしまいます。
・過去の業績に鑑みて、今後の指針を決める。
・アチーブメントを参照してアナリティクスを分析し、ロードマップを作成する。
ビジネス畑の人物であれば後者の表現も受け入れられるでしょうが、およそ一般的な表現とは言えません。
その文章をわざとらしいと感じさせてしまえば、「実際以上に文章を飾っているのではないか?」という疑いを持たれてしまいます。そうなれば最後、読者はたとえ文章を読み終えたとしても、行動までは起こしてくれなくなります。
「文章を通して執筆者を好きになってもらい、読者に応援してもらう」、「商品を詳しく説明して、消費者に興味を持ってもらう」。どのような文章であっても、その目的を果たすためには、「どのような読者に読まれるのか」が意識されていなければなりません。カタカナ語を用いる際には、その表現が読者にどう受け取られるのか、前もって想像する必要があるでしょう。
文章の信憑性を落としてしまう
カタカナ語を「寒いギャグ」に感じるという人もいます。特にオノマトペを使用する場合や、漢字・ひらがなをカタカナで強調する場合には注意が必要です。
・カタカナ語をドンドン使用すると、文章に対するイメージはガンガン落ちます。カタカナ語の使用は最小限にトドメマショウ。
わざとらしさだけでなく、幼稚な印象も与えてしまいます。延いては文章全体の信憑性を落としてしまいますし、読者の反応も悪くなります。カタカナ語の使用は最小限に留めましょう。
以上、「カタカナ語を好ましくないと感じる理由」を考察していきました。
カタカナ語に対する印象には個人差があります。新しい概念にも好意的な人にとっては、カタカナ語も受け入れやすい表現となるでしょう。一方で、カタカナ語を苦手とする人も多く、それを用いた文章自体にも嫌悪感を示す人もいるようです。
実際に文章のバランスを崩してしまうリスクがある表現方法でもありますし、カタカナ語を文章に取り入れる際には、そのメリット・デメリットをしっかり理解しておきたいですね。
参考資料