AIは人間の創造性を後押しするのだろうか?
前回の記事にて、「生成AIは、文章を書き慣れていない人にとって最高のツールだけど、高い創造性を備えている人にとっては害悪にもなり得る」という話をさせていただきました。
shiratsuti-psy-writing.hatenablog.com
文章を書くのが苦手、あるいは文章を書く時間を確保できない人にとっては、生成AIほど頼りになるツールもありません。
生成AIから得たアイデアを元手にすれば、アイデア出しが苦手な人でも記事を書けるようになりますし、そうして執筆活動を続けるうちに、文章力も磨かれていきます。文章上達のコツは毎日コツコツ文章を書き続けることですから、それをフォローしてくるAIには感謝しかありません。
しかし生成AIのやっていることは現状、既存情報を参照してアイデアを抜き出しているに過ぎません。いわば大衆ウケが良い”平均的な”アイデアを提示して、平均点を取ることに注力しているわけです。
どこかで見た誰かのアイデアを利用して書いた記事は、やはりありきたりな内容になってしまいます。もし生成AIを重用してしまえば、文章文法・語彙を組み立てる能力は鍛えられるでしょうが、肝心の創造性―――かつてないアイデアを生み出す力は育たなくなってしまいます。AIに頼りすぎれば、その人の創造性は平均値のまま頭打ちを迎えてしまうわけです。
また、AI利用が過熱していくと、もともと高い独創性を備えていた人にも悪影響が及ぶおそれが出てきます。たとえば前回の記事では、「なろう系」小説を例に説明しました。執筆者も、読者も、そして出版社も「なろう系」だけを求めた結果、他のジャンルは駆逐され、小説投稿サイトの上位をすべて「なろう系」―――テンプレート通りの類似作品が独占してしまった、という内容です。
この類似作品という概念がミソですね。均一化(平等化)と言えば聞こえが良いのですが、抜きんでた作品が存在しないというのも、それはそれで問題なのです。
もしAIが優秀なAIから学び、すべてのAIが均一化していくとすればどうでしょう。最終的にはあらゆるAIが均一なアイデアしか提案できなくなる―――AI作品がすべて似通ったものとなってしまいます。そして読者がAI作品しか求めない社会が訪れてしまえば、人間が創造性を高めようとする意義も失われ、斬新な作品を作ろうとする作家もいなくなります。
人間の創造性が、その成長が、AIに抑え付けられてしまうわけです。
とはいえこれら問題は、最悪を想定したシミュレートでしかありません。生成AIがまだ発展途上にあること、人間側もAIとの付き合い方を覚えていくことを考えると、破滅的な未来を迎える心配はないように思えます。
むしろ作家の創造性を、間接的に押し上げてくれるのではないでしょうか。
たとえばそうですね。作家が受け取る「フィードバックの質」が上がります。
生成AIは”あらゆる”文章コンテンツの質を上げてくれますから、作家の書いた作品のみならず、その作品を読んだ読者からのレビューや感想文にも、多大な影響を与えるに違いありません。
つまり読者が生成AIを用いるようになれば、出版社やSNSに向けて放つ文章も、創造性にあふれる内容となる―――作家のインスピレーションを刺激する内容となるわけです。そして作家は読者とAIの共同作品に触れることで、創造性の種を育てながら次の執筆へ向かえるのです。
「生成AIは創造性の低いユーザーを助けてくれる」というありがたいデータもあるわけですし、読者がAIを利用しやすいシステムを開発できれば、文章を書き慣れていない読者が集うレビューサイトやSNSも、その有用性を増す可能性があります。
そしてこれらシステムが実現したならば、AIによって”読者の声”がより鮮明になり、それらが作家を育てる世界が訪れる―――より優れた作品が生まれやすくなるのではないか、と妄想する今日この頃なのでした。
さて、グチグチとAIの影響について述べてきたわけですが、そもそも生成AIを用いないという選択肢もあります。あるいは創造性に関わる作業には生成AIを用いずに、細々とした雑用だけ手伝ってもらう、という使い方もできそうです。
論文データによると、創造性の高い被験者は、生成AIを利用したとしても創造性を下げることはありませんでした。つまり生成AIは物語のおもしろさに影響を与えず、何ならつまらなさにも影響を与えなかったのです。
このデータは何を示唆しているのでしょうか?おそらく人間は自身の創造性を高めていくと、生成AIのレベルを見抜けるようになるのでしょう。そしてAIが提示したアイデアを「取るに足らない」と判断すれば、取り入れない選択ができることも、論文データは暗示してくれました。
生成AIが”つまらなさ”にも影響しなかったという点が実におもしろいですね。良いも悪いも等しく”個性”であり、AIにはその個性を動かすだけの力はないということなのでしょう。
創造性の高い作家にとって、AIは便利ツールに過ぎず、自らの創造性を脅かす存在ではないのです。
一方で、生成AIには作家を平均値まで引き上げる能力が認められます。つまり創造性が低い作家たちは、AIから多大な影響を受けていたわけです。しかしそれは単純に、その作家がまだ個性を備えていなかったに過ぎません。
生成AIは平均点を取れる”凡庸なアイデアマン”ではありますから、そのレベルに満たない”文章初心者”が用いる分には、創造性を引き上げる成果を期待できます。いわば執筆の補助輪として活躍してくれるわけです。
では、創造性の高い作家にとって、生成AIは無意味な存在なのでしょうか?
AIも道具である以上、人間が役立てようとしなければ、その実力を発揮することはできません。もし作家が「生成AIは価値なし」と判断を下してしまえば、その時点でAIは利用されなくなり、作家もAIの恩恵を受けられなくなります。
しかし執筆活動に影響するのは、なにもアイデア出しだけではありません。情報収集・情報整理の効率化、執筆スケジュールの管理、作品に携わる仲間との打ち合わせ…。執筆以外にも重要な要素は盛りだくさんです。
そうした要素をAIが手助けしてくれるのであれば、巡り巡って執筆活動にも良い影響を与えられるに違いありません。
もちろん、執筆活動そのものに利益をもたらす可能性も考えられます。たとえば作家が自らの弱点に気づいていれば、AIにその弱点”だけ”を補ってもらい、実力以上の作品を作り出すこともできるはずです。
「果たしてAIがプロ作家を助けられるだけの能力を備えられるのか」という問題はありますが、人間の創造性を伸ばし得るというだけでも、夢のある素晴らしい話ではないでしょうか。
AIはやはり素晴らしい。とはいえ過ぎたるは毒となりますから、その悪影響をつねに危惧しておかなければいけません。たとえばAIの利便性に呑まれてしまう―――AI依存症に陥る可能性はあるのでしょうか?
論文データを鵜呑みにするのであれば、現状、その心配はないように思えます。創造性の高い作家は、そもそも生成AIから影響をほとんど受けていませんでした。過度に期待を寄せることも、依存することもなかったわけです。
では創造性の低い作家はどうでしょうか?自身の能力不足に焦り、生成AIを過剰に用いてしまう可能性はあるのでしょうか。私個人の見解となりますが、その心配もやはり小さいように思えます。
興味深いことに、論文中には「創造性の程度によって、AIの利用頻度が左右されることはない」というデータが提示されています。つまり、「創造性が低い」からといって、「AIを頼ろう」という思考にはならないことを暗示しているわけです。
有用なデータはもうひとつあります。曰く、「AIを利用したとしても、自身が書いたストーリーやAIの能力を過度に評価することはなかった」とのこと。
つまりAIを過剰に評価して、のめりこむ心配もないわけです。AIはあくまでも道具であり、創造性を高められるのは人間の意志でしかあり得ません。仮にAIが人間の予想をはるかに超えて進歩したとしても、自分の意志をAIへ譲り渡さない限りは、人間が創造性を失うこともないのではないでしょうか。
なお上記の仮説やデータはすべて、現時点での判断から導き出されたものです。いずれも不足している感が否めません。
・実験環境を整えるべく、被験者のAI利用に制限を設けている
・タスクが短文ストーリー作成に限られている
・AI以外の要素(金銭・創作意欲・自己満足など)の影響を省いている
などなど、実生活とはおよそかけ離れたAI利用を想定しているので、私たちが生成AIから受ける影響は測り切れていません。
論文の結びにある通り、今回の実験データはAIの影響を測るための”出発点”であり、おそらく今後も刺激的な関連論文が発表されていくのでしょう。
時には私たち生成AIユーザーに、衝撃を与えるような研究結果がもたらされるかもしれません。しかしそうした場合にこそ、落ち着いて研究内容を咀嚼していき、「どうすればAIと良好な関係性を保てるのだろう?」と考えるキッカケにしていきたいですね。
まだ浅い知識でChatGPTと戯れているだけの身ではありますが、今後のAI発展に胸を膨らませつつ、「自らの成長を諦めまい」という決意を新たにしたのでした。