たとえ言葉1つしかなくとも、それは私にとって文章である
私は文章を書くことが好きなので、それに通ずる知識(ライティングや語彙)に関する教本やweb記事を学ぶことにも関心があります。実際、大まかな文章作成の手順や、細かいテクニックはそれなりに知っていると自負しています。
たとえば、文章にはいくつか雛壇があります。物語であれば「起承転結」、論文であれば「序論ー本文ー結論」、コラムであれば「結論ー理由ー具体例ー結論」といった具合に、伝えたい内容に応じて、最適な文章構造も変わってきます。
あるいは「執筆における心構え」も学びました。一文一意を心がけること。因果関係を順番通りに記すこと。読者がストレスを感じるであろう表現を避けること。並べようと思えば、「文章テクニック」はいくらでも並べることができます。
しかしこうしたテクニックはあくまでも”テクニック”でしかありません。テクニック。手法。技法。これらは手段であり技術であり、「文章を書く」という”本質”までは表していません。
「伝えたいひとに伝えたいことを伝わるように伝えること」
これこそが文章の本質であり、文章を書いて誰かに公表することの意義なのだと、私は考えています。この「伝えたいひと」というのはもちろん「自分」も含みます。むしろ「自分にしか伝える気がない文章」の方が多いくらいです。
私は普段、空いた時間にスマホをポチポチして、ネットニュースやnote記事を読んでは、気に入った言葉や単語をメモ帳にコピー&ペーストしていたりします。つまりそこには、私の言葉が一切含まれない、文字の羅列が誕生するわけです。
おそらくこのメモ帳を読んでその内容を正しく理解できるのは、世界中に私一人しかいません。しかしそれでもなお、この単なる文字の羅列は「私の文章」なのだと私は定義しています。そこには「伝えたいことを伝える」という文章の本懐が備わっているためです。
ただし「伝えたい相手」は「私一人」しかおらず、「伝わるように伝える」ための手段も「私自身の記憶に頼っている」という、手抜き極まりない文章でもあります。
たとえば先ほど文章テクニックとして挙げた「一文一意」という言葉。これは多くの人にとって単なる四文字熟語に過ぎず、およそ文章と呼べる代物ではありません。しかし私にとって「一文一意」という言葉は、文章そのもの―いえ、文章を内包している言葉となります。
文章とは文を重ねていく先に完成する、いわば作品である。うまい文を重ねればうまい文章が完成するし、意味不明な言葉を重ねた文は、やはり意味不明な文章となるだろう。「文を書くこと」を積み重ねる行為こそが、「文章を書くこと」となるわけだ。それゆえに執筆者は一文たりとも疎かにしてはいけない。一文一文に自分の意思を、自分の意志を籠めなければならないのだ。
少し格好つけて書きましたが、要するに「一文一意」という言葉は私にとって、ある種の教訓を秘めている”圧縮文章”でもあるわけです。
「一文一意」という言葉を用いた場合、多くの人は「1つの文章では1つの言葉だけ説明しましょう」という文章テクニックを思い浮かべるはずです。人によっては、「文章構造を把握しやすくなって読みやすい」、「意味を1つに絞ることで読者を混乱させない」といった”メリット”も同時に思い浮かべるかもしれませんね。
しかし私にとってはメリット以上に、”精神論”として「一文一意」という言葉が響いてきます。「私」に「執筆者として忘れてはならないこと」を「思い出させて」くれる。たとえ言葉1つしかなくとも、それは私にとって価値ある文章として迫ってくるのです。
もちろん、私も普段からこのような”圧縮文章”を思い浮かべながらニュースや記事を読んでいるわけではありません。「何となくいい言葉だな」、「私もこの知識を使ってみたいな」という軽い気持ちで読み進めていき、印象深い言葉だけをメモ帳へ貼り付けて満足しています。
ただ、ふとした拍子に、「この言葉はなんでメモ帳に残したんだっけ?」と自問する瞬間が訪れるのですよね。そしてその瞬間こそが、「言葉」を「文章」へ落とし込む契機となります。その言葉をくれた記事の内容を思い返す。その時に覚えた感動を思い出す。そしてその言葉の意味を、自分が納得できる内容となるように、文章へ落とし込んでいく。この作業を完遂することで、言葉がその言葉以上の意味を持つようになるわけです。ちょうど、「一文一意」が私にとって精神論の支柱となったように。
「文章を書くこと」はいわば、「言葉や気持ちを拡大解釈する行為」なのだと私は認識しています。まずは誰よりも「自分」を納得させられるように、「自分の理屈」を考えていくという作業も内包しています。
そして自分だけでなく「誰か」にもその理屈を伝えたいと願ったとき、文章テクニックにも意味が生まれます。もっと詳しく、もっと易しく、もっと楽しく。読者に満足感を与えられるようなテクニックを織り込んで、「自分の理屈」を共感してもられるように、文章を整えていくのです。
まずは伝えたい言葉を見つける。その言葉に理屈を与える。そして理屈が伝わるように文を綴っていく。これらを総じて「文章を書く」というのではないでしょうか。